【謝辞および掲載に関して】

 ここに掲載した中野不二男氏の「レーザーと私」は、私がエルプ・ファンクラブの会長をしていた時にファンクラブ会報の第2号の目玉として、中野氏にお願いしてエルプ・ファンクラブの為に書き下ろして頂いたもので、世間には公表されていないものです。
 内容はレーザービームーによるエネルギーの伝送についてと中野さんの本にも書かれているレーザーメスの話などです。私には夢のような話ですがレーザーの可能性には目を見張るものがありますね。レーザー・ターンテーブルもその一つと考えても良いと思います!!
 あらためて、中野不二男氏にお礼を言いたい。「ありがとうございました」。
 なお、掲載については長い間、躊躇して参りましたが、エルプ・ファンクラブが現存していないこと。また、中野不二男氏の貴重な財産である「レーザーと私」がファンクラブの会報で埋もれてしまうことに危惧して、敢えてここに掲載させて頂きました。
 中野不二男氏はノンフィクション作家として多くの本を出版されています。読書の秋、是非、ご一読して頂きたいと思います。

出典:エルプ・ファンクラブ 会報




「レーザーと私」
中野不二男

 梅雨入りまえに、宮城県の角田市へいった。人口3万3000人ちょっとの角田市は、 仙台駅から電車で南へ1時間ほどである。その角田市の町はずれ、というより奥の奥の、 そのまた奥の丘陵地帯へいったのだ。

 宇宙航空研究開発機構、略称「JAXA」の角田航空宇宙技術センターとロケット開発センターは、鬱蒼とした木々の丘にかこまれている。もともとこのあたりは、旧陸軍の火砲開発の実験施設があった場所だ。その関係で、宇宙関連センターの丘の向こうには、陸上自衛隊の船岡駐屯地がひろがっている。
 角田の宇宙センターへいったのは、まもなくここではじまるレーザー照射実験の準備のためだった。平坦な灌木地帯を、500メートルにわたって拓いた直線道路の空間で、一端からもう一端へとレーザービームを発振し、レクテナというアンテナで受けるのである。実験の目的は、セラミックYAGレーザーのエネルギーが、自然の天候条件と大気のなかで、どのような影響を受けるか調べるためだ。
 長い空間にレーザービームをとおすのは、いまや珍しくもなんともない。広大な地理地形のなかで、距離や高度差を測定するときには、赤外線のレーザー測距装置が使われている。アメリカ大陸と日本列島の距離など、地球上の位置関係を正確に測定するときにも、似たような装置と人工衛星を組み合わせている。月と地球の距離の測定に使われたのも、アポロ11号による月面第一歩とともに設置した小型の反射板と、カリフォルニアの天文台から照射したレーザービームによるものだった。

 すでにこれだけの長距離照射がおこなわれているのに、わずか500メートルの距離の実験に向けてわざわざ準備しているのは、これまでのレーザーとは、まったく目的がことなるからだ。私たちがやろうとしているのは、電力エネルギーの伝送である。電力をレーザーに変えてビームとして照射し、それをレクテナ、つまりアンテナで受けるのだ。そしてまたレーザービームのエネルギーを電力に変換、または他のエネルギーとして活用するというものだ。ようするに実験の目的は、エネルギー伝送なのである。たんに目標物に照射したり、反射ビームを受けて時間差から距離を測定したりすることではない。レーザービームによってエネルギーを運ぶことなのだ。
 では、最終的にどのくらいの距離を伝送しようとしているかというと、実は3万6000キロメートルという長距離である。つまり、地球の赤道上空3万6000キロの静止軌道に、太陽光発電の巨大なパネルを設置し、そこで生まれる電力をレーザービームで地上に送るシステム、いうなれば宇宙発電所の設置計画だ。
 夢物語のように思われるかもしれないが、宇宙開発の分野では絵空事でもなんでもない。アメリカのNASAでは、70年代からすでに研究がはじまっていた。もちろん、70年代初頭にあったオイル・ショックがきっかけである。ポスト・アポロ計画の一つとして、また石油に依存しないエネルギー選択の一つとして研究は進められてきた。

出典:エルプ・ファンクラブ 会報




 その後、しだいに下火になってしまったのは、やがてやってきた石油のだぶつきと、原子力エネルギーへの体重移動のためだった。結果的に、NASAのみならずヨーロッパにおける宇宙発電計画は縮小あるいは中止され、以後あまり注目されなくなったのだった。
それが最近は、CO2削減が先進各国の重要課題となったために、ふたたび動き出している。ただし資源に乏しい日本の場合は、もともと補完エネルギー対策として、また将来の宇宙開発計画として、もう20年もコツコツと研究が続けられてきた。そしてここ数年、SSPS(Space Solar Power Systems)計画として本格的に実験に踏み出したのだ。私と宇宙発電計画のお付き合いは、もう20年近くになる。それがこの4月からSSPS計画の招聘研究員として、ますます深くなっている。

 それにしても不思議なほどに、私は「レーザー」との付き合いがある。もともとレーザーとは、なんの関係もない分野にいたにもかかわらず、である。はじめてレーザーというものを目にしたのは、まだ学生だった1970年ごろのことだ。レーザーの発振装置が、ようやく光学研究などに登場しはじめた時期である。大学の学科助手が、「ほら、これがレーザー発信装置だよ」といいながら、細長い金属製の箱を持ってきたのだ。長さは1メートルほどだったように記憶している。電源に接続してスイッチをいれると、実験室の白い壁に小さな赤い点が浮き上がった。もっとも、当時の機械工学の学科では “光学”などは無縁だから、学生たちは「レーザー」といわれてもピンとこない。せいぜい映画「007シリーズ」で、ボンドの宿敵のスペクターが殺人兵器として開発したぐらいの知識しかなかったのだ。だから壁の赤い点が装置から出たレーザーの光であることも、誰もさっぱり理解できないままポカンとしていた。
 そこで学科助手は、胸のポケットからタバコの箱を取り出すと、セブンスターを一服した。そしてむやみにぱかぱかと煙を吐いた。すると実験室内に煙がひろがり、空間に赤い線があらわれたのだ。それは、発振装置の一端にある小さな孔と、壁の赤い点を結ぶ、見事なまでに細い直線だった。
「うわぁー、なんだ、これ・・・」
私たち学生は、呆然としてその赤い直線を眺めていた。ふつう光軸は、距離とともに散乱する。出る部分の光束が細くても、先へゆくにつれて太くなる。しかしレーザーの光は、どこまでも細いままだった。現代は、レーザー・ポインターの光を見ても、もう誰も驚かないが、そのころは細い直線の光などほかに存在しなかったのだ。

出典:エルプ・ファンクラブ 会報




 その後、私は社会に出て紆余曲折があった後、ノンフィクション作家、科学・技術ジャーナリストとして執筆活動をするようになった。一般に作家といえば文系だが、私の場合はその出発点のせいか、取り組むテーマは自然科学系が多くなった。そうしたなかで、またもレーザーの光と出会った。CO2レーザーを利用して脳腫瘍を摘出する医療機器、いわゆるレーザー・メスの開発に尽力した脳神経外科医と技術者たちのドキュメントである。
 きっかけは、脳神経外科医の熱意だった。東京・新宿のJR東京総合病院へ、はじめてインタビューにいったその翌日から、医師は私を手術室に呼んだ。開発の物語を書く以上は、本当の脳腫瘍の手術をちゃんと見ておきなさいということだった。以来私は、毎週のように早朝の病院へゆくと、医師たちとともに手術着に着替え、手を洗い、執刀に立ち会った。
それは、感動的な光景だった。医師という人間が、患者という人間の脳を開き、そこからレーザー・メスによって腫瘍を切り取ったり、熱によって蒸散させたりするのである。摘出後の患部が、湯飲み茶碗ほどの空洞になったケースもあった。そして、意識が朦朧として言葉を話すこともできないままに搬送されてきた人が、手術の翌日にはベッドのうえで、「だいぶ気分がよくなりました」といいながら、朝食をとっているのである。それは医療技術のすばらしさと、技術開発の重要さを明確に物語るものだった。そうした経験をかさねるうちに、私はもともと自分がめざしていた航空宇宙の分野の勉強を、やりなおそうと思った。50歳になるころだった。そして五十路なかばになって、どうにか工学の学位を手にし、子どものころからの夢だった航空宇宙技術の研究へとふたたび入った。

 近所にお住まいの塩澤さんに、「この音を、ちょっと聴いてみませんか」と誘われたのは、角田の宇宙センターへゆく直前だった。この音とは、LPレコードを“レーザーの針”を備えたプレーヤーで再生するものだった。そういうプレーヤーが開発されたことは、テレビの番組かなにかで見たことはあったが、まさかすぐご近所のお宅に、そんな最先端の装置があるとは思わなかった。
ハリー・ベラフォンテ・ベスト
ハリー・ベラフォンテ・ベスト (RCA SX-215)

 さっそく私は、古いLPを棚から取り出し、塩澤さんのお宅へ伺った。LT(レーザー・ターンテーブル)というそのプレーヤーで、最初にかけていただいたのは、ハリー・ベラフォンテのアルバムである。
 私は、ベラフォンテの大ファンだ。コンサートも3回いった。最初は、社会に出てすぐヨーロッパへ渡ったときに、ウィーンで。次は帰国して東京の厚生年金ホールで。そして30歳のときには、オーストラリアのエンジニアリング会社で技術屋をやっていたとき、シドニーのコンサート・ホールで。
 LTから流れてきた「さらば ジャマイカ」に、背筋が寒くなった。もう20年以上も聴いていない、特有のリズム感と透明感のある、懐かしい声だった。
 わが家にも、LPのプレーヤーはある。しかし、たいせつなレコードが傷むのが心配で、ほとんど使わないままだ。ずっと昔、カセット・テープにダビングし、リビングでも車のなかでも、それを聴いてきたのだ。当然ながら、音質はよくない。それでも大好きなベラフォンテのLPが傷めずにすむのだから、我慢しなければならなかった。
久しぶりに聴くベラフォンテのLPは、やはりカセットやCDとは全然ちがっていた。コンサートで聴いた、あのマイルドなかすれ声と、透明感のある声の絶妙なバランスが、一瞬のうちに甦ってきた。

出典:エルプ・ファンクラブ 会報




ANSERMET / BEETHOVEN NINTH
ANSERMET / BEETHOVEN NINTH (CS-6143)
ルイ・アームストロング・グレーテスト・ヒッツ
ルイ・アームストロング・グレーテスト・ヒッツ (BLST-6502)

 ベートーベンやトム・ジョーンズ、ルイ・アームストロングなど、塩澤さんは私のもっていったLPを、次つぎとかけてくれた。懐かしいLPたちがLTに入れられるたび、すばらしい音とともに、いそがしく駆け回っていたウィーンやサルブルクの町、それにシドニーの陽射しが私のなかに浮かんできた。

「そうだ、そういえばこの音だった・・・」

 不思議なものである。人間は、音という無形の現象をかなりなまで正確に記憶しているらしい。LPが姿を消すなど想像もしなかった時代に、明けても暮れても聴いていた音を、私はちゃんとおぼえていたらしい。そういう音の記憶とともに、懐かしい日々が目の前をよぎっていった。
 ひとしきりマイ・コレクションを楽しんだあと、塩澤さんはビートルズやローリング・ストーンズなど彼の膨大なLP群のなかから、「ロックンロール ミュージック」や「ホンキートンク ウィーメン」、「サティスファクション」などをかけてくれた。五十路の中年男には、もう完全にノックアウト・パンチの迫力である。いずれもFM放送の音楽番組などで、いまもときおり耳にするナンバーだ。しかしこれほどの音で、コンサート会場にいるような音で聴くのは、はじめてである。それもまさかご近所で、ビールをいただきながら楽しめるとは思わなかった。レーザーの技術様々である。もう、貴重なLPを痛める心配も、針を探し回る苦労もなさそうだ。
 この7月には角田の宇宙センターで、レーザー照射の本格実験が開始される。そのときには、LTで再生していただいたCDを、バッグに詰めてゆこうと思う。

出典:エルプ・ファンクラブ 会報




【著者紹介】
中野不二男[ナカノ フジオ]

 1950年、新潟市生まれ。ノンフィクション作家。ウィーンの通信社に勤務したのち、1978年オーストラリアに渡り、エンジニアリング会社技術部で働くかたわら、アボリジニーの研究にたずさわる。『カウラの突撃ラッパ』(1984年、文藝春秋)で第11回日本ノンフィクション賞を、『レーザー・メス 神の指先』(1989年、新潮社)で第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。近著に『脳視ドクター・トムの挑戦』(2005年、大和書房)、『暮らしの中のやさしい科学』(2006年、角川書店)など著書多数あり。とここまでは、インターネット等で紹介されているものです。

 実を言うと、本文中にも「近所にお住まいの・・・」とあるように、中野さんのお住まいはごく近所にあり、私が平成5年に引っ越したときから、お付き合いをさせていただいています。お子さんの構成が我が家と同じということもあり、いろいろな面でお世話になっています。また、お仕事の関係でパソコンを使うことが多いようで、パソコン仲間でもあります。
 今回、会報の特別寄稿をお願いに行った時にもすっかりとご馳走になってしまいました。さすがに新潟出身の中野さんは酒通のようで、幻の銘酒(市販されていないものもあるそうです)と言われるお酒が沢山あり、その貴重なお酒をいただきました。
 お話によると私がお願いに行った時に丁度、東京大学工学系研究科で博士(工学)号を取得されたところで、少し時間がいただけるようでした。約二年間に渡り「衛星開発技術の定量評価法」という学位論文の作成などで多忙な日々だったと聞いて本当にラッキーだったと思いました。
 中野さんはノンフィクション作家として沢山の本を書かれていますが、身近なところでは「大人の科学」という雑誌の監修もされているそうです。「大人の科学」は子供の頃に読んだ「学習と科学」という雑誌の大人版といえるものです。私の場合は、雑誌についていた「付録」を楽しみにしていた記憶があります。
 「大人の科学」にも真空管ラジオとかレコード盤録再蓄音機・特製ソノシート付き、投影式万華鏡などの付録がついているので好きな読者にはたまらないものだと思います。
 現在は独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 総合技術研究本部 高度ミッション研究センターに招聘研究員として勤務されているそうですが、宇宙政策シンクタンク「宙の会(そらのかい)」の代表幹事も務められていて、超多忙な毎日を過ごされているそうです。そのような中、エルプ・ファンクラブの会報に執筆していただいたことは大変有難く感謝の気持ちでいっぱいです。この場をかりて御礼申し上げます。
 なお、「宙の会」のオフィシャル・サイトは下記のアドレスとなります。是非、一度ご覧になってください。中野さんの最新情報を知ることができます。

出典:エルプ・ファンクラブ 会報




【出版書籍】

書籍名著者名発行年月出版社
カウラの突撃ラッパ/零戦パイロットはなぜ死んだか中野不二男/著1984年07月文藝春秋
アボリジニーの国/オーストラリア先住民の中で中野不二男/著1985年01月中央公論新社
マリーとマサトラ/日本人ダイバーとアボリジニーの妻中野不二男/著1986年09月文藝春秋
大いなる飛翔中野不二男/著1987年04月講談社
黒い私生児チャールズ・パーキンス中野不二男/訳1987年07月くもん出版
マレーの虎/ハリマオ伝説中野不二男/著1988年04月新潮社
レーザー・メス神の指先中野不二男/著1989年08月新潮社
もっと知りたいオーストラリア中野不二男/著1990年05月弘文堂
インターフェロン第五の奇跡
長野・岸田両博士と林原生物科学研究所の挑戦
中野不二男/著1992年12月文藝春秋
先端技術への招待/エネルギー・医療・輸送中野不二男/著1993年01月中央公論新社
夢の科学工房探検(現代を読む) / オペレーション・ドリーム中野不二男/著1993年05月時事通信社
からくりの話/茶運人形からステルス戦闘機まで技術
革新122のヒント
中野不二男/著1993年12月文藝春秋
ハイテクからくり図鑑中野不二男/著1994年11月文藝春秋
ツァイス激動の100年中野不二男/訳1995年08月新潮社
繋ぐ阪神大震災、「電話」はいかにして甦ったか中野不二男/著1996年01月プレジデント社
絵とき・脳ミソからビールまで57の着眼法中野不二男/著1996年07月講談社
親子で覗く最先端中野不二男/著1996年07月文藝春秋
パソコンはどうして使いにくいのか中野不二男/著1996年08月自由国民社
からくりの話中野不二男/著1997年01月文藝春秋
親子で遊ぶやさしい科学教室
家にあるものでここまでできる!
中野不二男/著1997年04月PHP研究所
メモの技術 パソコンで「知的生産」中野不二男/著1997年08月新潮社
ニュースの裏には「科学」がいっぱい中野不二男/著1998年05月文藝春秋
日本の宇宙開発中野不二男/著1999年07月文藝春秋
科学の時間中野不二男/著1999年09月文藝春秋
ロケット開発「失敗の条件」技術と組織の未来像五代富文・中野不二男/著2001年06月ベストセラーズ
デスクトップの技術中野不二男/著2002年09月新潮社
湯川秀樹の世界 中間子論はなぜ生まれたか中野不二男/著2002年11月PHP研究所
知的DIYの技術 木製玩具から山荘作りまで中野不二男/著2003年07月新潮社
日中宇宙戦争中野不二男・五代富文/著2004年01月文藝春秋
ココがわかると科学ニュースは面白い中野不二男/著2004年04月新潮社
科学技術はなぜ失敗するのか中野不二男/著2004年11月中央公論新社
不器用な技術屋iモードを生む中野不二男/著2005年03月エヌティティ出版
脳視ドクター・トムの挑戦中野不二男/著2005年11月大和書房
暮らしの中のやさしい科学中野不二男/著2006年05月角川学芸出版
カラダで地球を考える「完全なる代謝」という発想中野不二男/著2006年09月新潮社

【2006年09月 現在】

出典:エルプ・ファンクラブ 会報
出典:エルプ・ファンクラブ 会報
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